取り敢えずこれだけはっつけておかないと
元々このブログは日記収容スペースである事を忘れそうです。
他はほぼおまけですよ。
20.
「エンシェントレスト……って何?」
「お前、も俺もだけど、英語判るだろ。エンシェントは『古の・古代の』んでレストは『眠る者』とかそんな感じ、だから昔のゾンビみたいなもんだと思うけど」
「初期のゾンビといったらヴードゥー教」
「じゃなくて。じゃあ生きた化石って訳でどうだ」
「あぁ、成程ね……カブトガニ」
「かどうかは知らん。何分、資料が乏しいんだよなぁ」
僕とドォルはレポート用紙の前で同時に溜息をついた。
データ採集の際に最も困るのがこの手の、他の大陸には存在しない生物郡だ。どう対処して良いかも判らなければそもそもどんな姿をしているのかも判らない。襲われてみて漸くそれが意思を持つものであると知る事が、これまでにもしばしばあった。石壁が歩いてきた時には本当にどうしたら良いものかと悩んだものだ。
それでも遺跡内時間で二十日を、僕たちの時間で数ヶ月を経て大分慣れはしたつもりだったが。
「何でここに学者が真っ先に飛びつかなかったんだろうねぇ」
「飛びついてるのがすぐ傍にいるだろうが」
「……そういえば」
教授は新種発見が立て続く所為もあってか、最近では研究に没頭しているようでめっきり口数が減った。助手は何をしているのか知らないが、『助手』なのだから矢張りその手伝いをしているのだろう。
僕も同じで、レポートに悩まされる時間が増えた。大分手持ちのモルモットの幅が広くなったのは良いが、お陰で実験の回数も倍以上、流石に初段階で生態を調べる必要のあるものまでは中々手が回らない。『エンシェントレスト』はそういった類の生物で、捕獲する前から厄介な気配がしてならないのだった。
僕を悩ませているのがそんな現実的、時間的な問題だけならば良かったのだが。
もう幾つか、どうして良いか解らない事――そして恐らくは考えるだけ無駄な事、が頭から離れない。
例えばそう……人間になれるのならばなるのか、という吸血鬼の問い掛け。
なれば、僕は死を得る事が出来る。
だがその時僕は、今度は創造主の側に廻る事にもなる。長い年月をかけて毛嫌いし、覚えた怨念の矛先を向けるようになった対象に自分を当て嵌めてみる、と、何だか酷く虚しい。そんな気がする。
それは確約された事ではないのだから。そう言い聞かせ、出来るだけ考えずにいようとはしているのだが、唐突に沸いた疑問は易々と消えてはくれない。まるで濡れた紙に落ちた一滴の墨汁のように、じわりと脳裏に陰を落とす。
何故彼がそのような話をしたのか、そんな事を言ってみる気になったのかすら僕には理解出来ないというのに。
取り敢えずのところは一段落したレポートのチェックをドォルに任せ、僕はまたも深く溜息をついて部屋を出た。部屋のある鞄は今宵は老いた八重桜の樹の根元。その幹に凭れて根に腰掛け三度目の息を吐くと、何処からともなく射干玉が膝に降り立つ。
ふ、と景色が掻き消えた。
見えるのは膝の上で大きく翼を広げる白い鴉と、その鴉が溶け込む真っ白で眩しい『無』の世界。
頭上を仰いで目が戻るのを待つ。
誰も鏡の目に映りこまないように、ただじっと黙って見えないものを見詰める。
そのまま、手探りで鴉の首に手を伸ばした。
射干玉の力さえ消えてしまえば。
――無駄か。
拠代は殺せても僕自身は殺せない。
漸く瞳に色が映ったその瞬間、一陣の旋風が吹き抜けた。
八重桜の花弁が儚く舞った。
あぁそうだ、今度花見をしにいく約束をした。
せめてそれまでには気分を直しておかないと。
また八つ当たりをしてしまう。
どの振袖に腕を通そう。
どの帯を締めよう。
まぁどれを選んだ所で傍目には余り変わりがないのだけれど。
折角の遊山、ならば伊達襟に色を入れようか。
帯揚げはどうする?
髪飾りは――
こうして時間を潰していれば何れ忘れる。忘れる事が出来る筈。