シベリアンハスキーなんて狼の亜種みたいなものだし
そっと入れ替えても気付かないんじゃないの?
と、思ったとか思わなかったとか。
実際、ロクローさんはまだ野犬と狼が入れ替わった事に気付いてないらしいし……
16.
封魂解除についての詳細が書かれた書物が見つかった――漸くその報が入ったのは、先輩が思ったよりはまともに部屋を改装して去っていた直後の事である。但し秘蔵文書の一冊であるらしく、途中で紛失する可能性のある物質転送では流石に送れないので使いに持たせる、との事だった。
その使いとやらが今目の前にいるコレなのだろう。
ガスマスクを装着し、背負った内臓タンクと身体を覆う鋼鉄の鎧を何本もの金属製のチューブで繋いだ身長二メートルを超す武装ゾンビ。製造ナンバーTC06、通称『東雲』。鎧の隙間からはボロボロの包帯が覗き、口を利くことは許されない、創造主である御崎参礼とその兄弟の命令だけを忠実にこなすだけの、彼ら一族の汎用兵器である。
尤も、普段はこのように雑用に使われているのが現状なのだが。
特に東雲を含むTC(タイプ・コフィノイド)シリーズや、御崎最大の武器であるTP(タイプ・パペット)シリーズは彼個人の実験作である所為もあって、このところ好き勝手に使われている印象がある。どうせ今回の書物も兄たちの許可など取らずに持ち出してきたに違いない。近々また説教を食らうのだろうなぁ、等と頼んでおきながら他人事のように肩を竦め、僕は東雲からハトロン紙の包みを受け取る。
「これがそれか」
『まぁ多分なー。正直文字が流暢過ぎて俺には殆ど解読不能なんで。いやそりゃ時間かければ俺だって読めるけど今は泣き女だの腐った竜だのが』
「はいはい。ま……うん、それっぽい事が書いてあるから大丈夫じゃないかな」
古びてはいるが元の紙質と保存状態は良いのだろうその書物の頁を捲り、僕は言った。
「読み終わったらどうしたら良いかな?」
『すぐに読み終わるなら暫く東雲ごと預けるけど』
「え……それは邪魔」
『失敬な』
「冗談だよ。これなら数日あれば読めそうだし、それじゃ終わったら彼に持たせて返せば良いんだね?」
『あぁ、それで。そういや部屋の方はどうなった?』
「んん……」
僕は部屋をぐるりと見回した。必要充分程度の広さの正立方体の個室は白とアンティークゴールド、そして濃紺で纏められている。四方の壁にはそれぞれ一つずつ同じ額縁のような枠で囲まれた扉があり、紺地に星の意匠の凝らされた扉は鞄の外へ、鏡になっている扉は衣裳部屋へ、壁と同じ白の地にやけに豪華な檻が嵌め込まれた扉は実験動物部屋へ、そして紺で塗り潰され、微かに様々な貝や魚類の骨がゴールドで浮き上がる扉はシャワールームへ、それぞれ通じている。
『あの猫にしては普通だ』
「でも良く見ると壁に人骨が埋まってる」
『……はぁ?』
「他にも大鎌みたいなモチーフが隠れてたりした」
『隠し文様……何処のテーマパークだ』
電話越しに御崎が苦笑した。
『まぁ、頭がおかしくなりそうな部屋にされなくて良かったな。その程度で済んで』
「一応仕事と割り切ってる時はあれでそれなりに真面目だし。この間も珍しく女の子の服を作っていたよ? 久々に何着か受注したみたい」
『猫も成長するんだなぁ』
「またそんな余計な事を言って、聞かれていても僕は知らないからね」
『お前も同罪だバーカ。さて、じゃあ切るか。ドォルは近々学園に戻すんだろ?』
「……どうしようかな」
『どうしようかなって何の為に封魂解除の術探したんだよ』
そうだけど、と語尾を濁すと、せめて相手の同意は得ましょうね、等という呆れたようなふざけたような台詞と共に通話が切れた。
後には無言の武装ゾンビが立ち尽くすのみ。
***
彼岸花の咲き乱れる川岸に、僕とドォルはいた。
「此処は楽だよなぁ。俺犬じゃなくて済むし」
「うーん……つくづく君が人間とは思えないなぁ、此処を夢でなく現実として認知出来る上に殆ど負担も掛からないなんて」
「犬で鍛えられたよな!」
「ごめんね」
素直に謝る。と、ドォルは急にぽかんとした表情になったかと思うと、慌ててそんなに気にする事はない、どうせ暇だったしな、と言う。
――その甘さ故のこのポジションなんだろうなぁ……。
「で、用事ってのは何だ?」
「その犬の身体について、ですよ。今捕獲室に狼がいるでしょう、そろそろアレを本体に据えて機能のバージョンアップを図ろうと思っているのだけど……中に居る君は学園に戻っても良いし……残って僕の役に立ってくれても良い」
「自分でやらかしておきながら酷く恩着せがましい言い方だな?」
「……もう一人でもやっていけそうだし、半魂を元の身体に返す事が出来る」
だから、どうする?
僕は墓石に腰掛けて問う。ドォルは川縁でだらしなく足を投げ出して座り、月光を浴びている。
「大方そんな話かと思ってはいたんだけどな」
犬はなぁ、所詮犬だしなぁ、とドォルは笑った。
「折角大分四足にも慣れたとこだが、まぁお前がもう良いってんなら帰らせて貰うか。お陰でアル中に成り損なったんだぜ?」
「それは成果ではあるね。――じゃあ、術を解くよ」
「宜しく。んじゃ俺は、狼に憑く事にするか」
「……何で?」
「九頭龍に頼めば生霊にはなれるだろうしー」
「いや、どうやって、じゃなくてどうして」
「お前の口癖と同じだよ。暇潰しだ。第一、全ッ然『一人で平気』じゃねぇじゃん」
俺が教えないと錬金も半端だし無茶なもの食ってまともなものは食わないし寒いのなんの五月蝿いししょうもない事で落ち込むし時間感覚はまるでないし寝惚けるし長年人間観察してる割にさっぱり理解してないし、とかったるそうにだらだらだと僕の欠点を論う様に、僕は反論も出来ず黙り込む。
「それに未だに体調もおかしなままだろ?」
「自覚、ないんだけど」
「たまには人間様の勘を信じても良いと思うけどな。そのままじゃ死ねるぜ?」
「ならば願ったり叶ったりじゃないかな」
「相変わらず、生死の境のない奴はこれだからなぁ……」
ドォルの言葉を聞き流し、九頭龍の術を思い起こす。彼も霊魂を扱う術士だが――生霊は本体の寿命を削って成るものだ。ドォルもその程度の事は解った上で言っている筈。一方で、半封魂では少なくとも今のところ、寿命の減少は見られない。
「……素直に留まるって言えば良いじゃないか!」
「うお。んだよいきなり大声出すな」
台詞ほど驚いた様子も見せず、彼はにや、と口元に笑みを浮かべた。
「実のところ、最近はそれなりに現状も面白いと思えるようになってきたからな。やっぱただ寮と酒場行き来するだけってのもつまらねぇ。それに俺の名前はロシア語で狼って意味なんだぜ。ドミトリィ・ドォル――血染めの狼」
「――解った。ならばもう暫く、僕の為に働いて貰おうか」
「あ。ところでピアスはどうすんの?」
「……どうしよう……」